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R.U.K.A.R.I.R.I | 魔法少女ほむら☆マギカ Beginning with Charlotte その1
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2014.01.12
魔法少女暁美ほむら。彼女の魔法は鹿目まどかとの出会いをやり直すための魔法であるはずだった。
しかしながら、時間遡行で戻った世界は彼女の知る世界ではなかった。
記憶をなくしたほむらが出会ったのは、シャルロッテと名乗る不思議な金髪少女。
「あいつらの方が魔女だ。罰せられるのはあいつらの方――」
果たして、ほむらは元の世界に戻ることができるのか。シャルロッテの正体とは一体……?


 燃え盛る家屋のすぐ側で、掠れた声を少女があげていた。身に纏う白い清楚なドレスはいたる所が破れ落ち、そのすぐ側には車椅子だったものが転がり落ちていた。車輪は砕かれ、フレームがへの字に曲がっている。
「っ……」
少女は頭から流れ出る血を気にする様子も見せずに、身体を無理やり起き上がらせる。
 そして正座し、目を閉じると手をあわせた。その姿は、空に輝いている満月に祈るかのようだった。少女は言葉を綴る。
「――けて」
 すると先程まで家屋の燃える音が――突如として消えた。
「――えっ」
 少女が目を開けると、視界に広がるのは白い空間だった。少女が大きく目を開き、困惑しながら周囲をくまなく見渡すと――一人の白いローブを纏う者が、いつの間にか目の前にいた。
 ローブが目元まであるため、表情は見えなかった。その者は告げる。
『君は何を――んだい』と。
 少女が声をあげるために息を吸い込むと、
「――」
 その声は音を振動させることなく、ただの無音を作り出していた。戸惑う少女に、
『そうかい。君の願いは確かに――を凌駕した。力を――とるがいい』
 ローブを纏う者は言葉を返す。
『それこそ、時の――を――するほどの願い――』
 
 そしてその言葉を最後にその空間は消滅し、そこには――一人の少女が立ち上がっていた。

「……はぁ」
 ――あぁ、どうしてこんなにも虚しい気分にさせられるのだろうか。歩けば歩くほど、身体が徐々に重っていく……そんな気分さえする。実際には重さを感じない、偽りの身体だというのに……。だからといって、私の足は止まることはなかった。止めようとも思わなかった。
 ただ、真っ直ぐ進む。ただ、受動的に進む。
誰かに命じられていないから、呪縛に近いものかもしれない。それも“そこに行かなければいけない”という戒め。だから足をあげ、ただ前へ前へと動かし何度も繰り返し大地を踏みつける。
「……ぅ」
 伝わってくるその感触は固い土であって、決して土でないもの。それは――かつて街を構成していた一部。いずれただの石となるだろうコンクリートの瓦礫を、破壊された遺構を、私は踏み越えていた。
「……」
 何もできない。何もできなかった。いや、違うか……。
 ――目の前に広がる残酷。
 あの時、ただ呆然と私は見ているだけだった。あの時の私であれば、少なくとも魔法少女の力を使えたはずなのに、その力を使うことすらできなかった。いや、そうする暇さえなかった。
 暁美ほむらという魔法少女は既にあの時在ったというのに――。何もしなかったのが悪いのか、悪くないのか今の私にはわからない。ただ、あの娘は笑ってくれた。
 髪が宝石みたいに光輝く――金髪の少女が。
『最後は、やっぱ笑顔でしょ?』
 消えゆく存在でありながら、確かにそう言ってくれた。思い出すのは、彼女の満足そうな笑顔。とても綺麗で救われたそんな想いを感じた。
 だから結果的にいえば、力を使わなかったことが正解だったのかもしれない。だからこそ――今の私がここにいる。あの出来事が原因なのか、ただ状況に流されるままの自分がここにいた。あちらへ、こちらへと進むべき未来を歩み、迷う自分がここにいる。
 でも、枝分かれている未来に見えて、終着点は同じ。
 ――ワルプルギスの夜。
 そこへと結局、辿り着く。その間にまどかを救えるか、救えないか。それだけの違いがある未来。そこへ収束するかのように、私の未来は進んでいく。
 私が行きたい、たった一つの正解への扉はまだ開けられないでいた。
 まどかと一緒に過ごせる未来――。その扉をいつか開けることができると信じ、私は歩き続けている。
「迷い……か」
 その場に立ち止まり、ずっと拳を作り続けていたままの手を開き、指を一本一本開いていく。その手の中には当然何もない。温もりも癒しもない。かつて、私を包み込んでくれた温もりも当然ない。あるのは、魔女によって斬り裂かれて生まれた赤い線となった傷口だけ。
 ――傷口なら、おそらく全身にある。背中なんかは攻撃を回避する際に何度も受けた。それなのにこの手だけ痺れのような全身に伝わる痛みを感じる。
 なぜなのかは、わからない。だけど、心に何かを与えてくるのだけはわかった。
「……」
 雨が私の穢れを払うかのように降り続けていた。ただ――まっすぐ空から大地へ。雨は天からの恵みという。確かにそうかもしれない。だからなのか、私は傘をささずにそれに身を委ねていた。その癒す力で心を浄化して欲しかったのかもしれない。でも、現状は違う。
 そんなことはできやしないんだから……。
「雨か……」
 傷口から流れ落ちる血が雫となり、地面へと流れてゆく。
「……」
 手にある傷口から紫色の光が漏れた。意識した私の力の影響だ。その光によって、少しずつ傷が塞がっていくのを目にした。血はもう流れない。痺れも心なしかなくなったように思えた。雨や血の流れが私を憂鬱にさせているのかもしれない。違う、そうじゃない。決して、誰かのせいじゃない。だから、歩こう。前に。ただ――命じるままに。
「はぁ……」
 私の周りには誰もいなかった。私という魔法少女以外、誰もかもだ。いや“かつていた”というべきだろうか。この際、あれを“人として”数えるかという問題を考えないとするなら。
 あれは……? ふと視界をよぎる物があった。
「花……?」
 もう何もないと思ったのに、それは咲いていた。白い花が咲いていた。瓦礫に潰されることもなく、火災によって燃えることもなく、綺麗に咲き誇っていた。あの時見た教会の花に少し似ている気がした。花を掴みとり、匂いを嗅いでみたけど、何もわからなかった。
 ――血生臭さ以外は。
「そう……」
 ある意味で同じなのかもしれない。あの時嗅いでいた匂いに。ゆっくりと花を地面へ戻し、前を見た。私があの時対峙していた人に向かうために。さっきまでいたあいつは人ではない、いや昔は人であったかもしれない。人であったことを私は……他の誰よりも知っている。
 だから、ここには誰もいない。人も動物もいない。何も見えないはず。
「……」
 いないのも当然のことだった。まだこの世界、この時間軸では魔法少女に遭遇していないのだから。巴マミ、佐倉杏子はきっと魔法少女だろうけど、この街にはいない。彼女たちはここに魔女が現れることなんて、知っているはずもないのだから。知っているのは、過去のデータを知っている暁美ほむら――ただ私だけ。
 だから、まだ魔法少女には誰も遭遇していない。
 強いていうなら、私という魔法少女以外には――、
「さようなら」
 この言霊は、誰に対しての別れの言葉なのか。その誰かを忘れているわけじゃない。覚えていない私がいたら、もう一度彼女に会いに行かなければならない。
 金髪の少女、いつも笑っていた少女に。
 数日間のたったそれだけの出会いなのに、彼女は私を勇気づけてくれた。
 
 ――自分の想いを貫き通せ、そしてあなたもきっと笑えるようになるよ、と。

 消えてしまうとわかっていたのに、私を助けてくれた。あの娘は利用していただけなのかもしれない。彼女自身の願いを叶えるために。それでも笑ってくれた。
「……」
 私にとって、生命の恩人。そして私を必要としてくれた――優しい娘。全てを背負う必要なんてそれこそないはずなのに、それでもあの娘はいつでも笑顔だった。一生懸命笑っていた。
 私のために――あの娘のために。私は果たしてあの娘の役に立てたのだろうか?
 わからない……、けど何かしないと気がすまない気がしていた。
 だから、再びめぐり逢うことがないその人へ言葉を作る。作ることに意味がある。言葉をいくつ作っても届くことなんて決してないことはわかっている。言葉は決して過去には届かないから。届くのは未来のみで、過去へと届くことは決してないのだから。
 それに私が願ったのは……そういったものではないのだから。
 私は――鹿目まどかとの出会いをやり直すために、インキュベーターと契約した。
 あの金髪の少女と再会するためじゃない。あの出会いはイレギュラーな遭遇で、必然のような偶然の産物なのだから、もう会えることなんてない。
「はぁ……」
 わかっているのだけど、憂鬱な気持ちのせいか、何か言葉にしないと前へと進めない気がしていた。だからこそのさようならだった。口にするだけで、心を満たす何かが生まれたのがわかる。もしかすると、ただの偽善なのかもしれない。そんなことは私自身わかっている。だけど、
「……っ」
 この想いを胸に抱きながら、前を向いた。目の前に広がる世界を――。 
 壊れたビルは天井がなくなり、そもそも一階以上あったのかもわからない。オフィスだったのかパソコンやらがやたらと落ちている。マンションも同じように一階以上あったかわからない。だけど、きっとコンクリートに固められているのだから、複数階あったのだろう。冷蔵庫らしくものもその瓦礫の中、五つほど見えたから。
 ここにあるのはそういう瓦礫と、その崩れ落ちたものが複数周りに存在するだけ。周りといってもここら一体見渡す程度……。人によっては、この広さは一つの街といってもいいかもしれない。それくらいの膨大な土地が荒地となっていた。原因は簡単なこと。私が壊し、あれが壊したから。人は元より住んでいなかった。
 その理由は、天変地異と呼ばれる大きなハリケーンが襲うと、警報が出されていたから。
となると人は簡単なことに、そこから逃げればいい。その結果が今のこれ。集団疎開、集団避難。言い方は多々あるけど、結局どこかへ逃げただけ。どうしてなのだろうか?
 力もないただの少女であった私ならどうするだろうか? 何もしない、何もできないかもしれない。それでも――私は……。
「……最悪」
 それは最悪なことだと思う。少なくとも他のやり方はなかったかと。確かに逃げるしか方法なんてないかもしれない。だけど、それは本当に的確な答えだったのか。本当に大事なことだったのか。本当に必要なことだったのか。私は……私にはそう思えない。
 でも、彼らには私たちのような力はない。戦うことすらできない。
 力があっても――魔法少女であってもこの結果を招いたのだから。この荒地が証拠。私は何も考えなしに街を破壊した。逃げた人たちのために気遣う必要なんてないから。そもそも誰もいないなら、そのことについて誰に許可を取るべきなのだろうか? 私たちが戦っていることを知る人なんていないのだから、そんなものそもそも必要ない。
 だから、本当は私が文句を言う資格さえないのかもしれない。
 それに誰もいなかったからこそ、可能だったのだから感謝すべきことなのかもしれない。誰も死なせず、守ることができた。
 それで十分なはずなのだから――。
「……ぅ!」
 拾い上げたクマのぬいぐるみの頭が音をたて、胴体だけが地面へと落下した。――嫌な光景だ。否応なしにあの時のことを思い出してしまう。魔法少女が油断すれば、この人形のように残虐な死になることもある。何度も何度も見てきたことだけど、見慣れるなんてことはないと思う。
「……あっちか」
 これよりも残酷な世界を知っていた。血と涙もないただの暴力しかなかった世界を。
 秩序なんてとうに消え失せた無人の荒地で―― たった一人で少女が戦っていた。
 そこで少女は言っていた。『寝られる日が欲しい、好物が食べたい』と。
 それは叶うことなく死んだ。あっけなくというのかそれぐらい簡単に少女は死んだ。救えなかった。救うことができなかった。
 あの時『君が救いたいと願う少女を救うのだ』、と少女は死の間際に私に呪文をかけるよう囁いていた。
 それが少女との別れ。
 だから、本当に少女が死んだのかわからない。
「ん……」
 頭を上げる。思い出してみれば簡単なこと。私は知っていた。少女がどうなったかを間接的にだが、少なくとも結果だけは明白。その答えがここにあり、私がその結果と戦っていたのだから。
「ふぅ」
 頭だけとなったぬいぐるみをゆっくり地面へ下ろすと、それを振り返ることなく前へと進んだ。何度戦ったのか数えるのがわからない、かつて人だったものに会いに行くために。
 私がそこまで移動させ、攻撃した際に生まれたクレーターと見間違えるほどに大きな穴。その中心点にそいつがいた。そこはここからでもよく見える。そいつは動かず、ただ横たわっている。おそらく、生きていない。いや、そもそも生命という概念があるのかさえわからない。
「……」
 クレーターの中に入ると、坂道を滑りながらゆっくりとそれに近づいた。遠くから見ているよりも少し想像以上に大きい。そのせいか少し足を取られそうだった。加えて注意が必要だった。ビルの瓦礫なのか、窓ガラスやら、壊れた木材が穴から突き出して邪魔だったから。
 この穴は蟻地獄の罠のように沈んでいくことはないだろうが、警戒は怠らないよう心掛けた。倒したとはいっても、違う敵がいるかもしれない。
 いつでも発動できるよう心がける。時を止める私だけの魔法の力を――。
「……」
 そしてたどり着いた場所で、その姿を視界に入れ一息吸い込むと、
「久しぶりと、言ったほうがいいのかしら……」
 目の前には、朽ち果てた一匹の魔女。
 こいつは答えなかった。死んでいるのだから当たり前――。
「これで、眠れるかしら?」
 残念ながら、ここには好物はないけど。横たわる“お菓子の魔女”に何回目なのかわからない言葉を告げる。消滅しつつある魔女に一度頷くと、片手でグリーフシードを拾い上げ、憂鬱な気分はこれで終わりと、穢れたソウルジェムを癒した。
 
 あなたを殺し続けることになっても―― 前に進むわ。あなたの想いは……。

 夢を見ていた。――それも夢だとはっきりとわかるものを。
「……!」
 頭の中の奥底で、何かの音が反響している。水滴が地面へと落下する静かな音、そういうのに少し似ている感じがする。その音は断続的に続いていて、私の全身に響き渡るようで刺激の一種、そうとも感じられた。
でも、手を動かしても音の原因らしきものを感じることはできなかった。どこも濡れておらず、つかむところすらしない。何もない闇の中といったほうがいいかもしれない。
歩き出せる床もなく、ただ彷徨うだけの闇。
「……?」
 だから、私の視界から見えるものは当然のごとく何もなく、明かりもない夜の世界にいるようだった。不思議な気分。水の中のような場所にいるのに、呼吸ができるというのは。
「なんだろ……?」
 時より視界を何本かの光線が、水音と共に走ることがあった。ほとんど何も見えない中、それだけははっきりと見える。その光線は曲線みたいにくねった光の線で、どういうわけかその光線を見るとき、言葉が聞こえる。光線が言葉に変換されて、私の頭の中へ伝わってくるようだった。
 
 ――言葉。
 
 それが言葉だと気づきはじめたのは、ついさっきのことだった。ただの水音だと思っていたものが言葉、それも聞いたことがあるものに近い。それも懐かしい、そんな印象を受けるものだった。
「――ほむらちゃん」
 優しい癒しと温もりを感じる声。……誰だろうか。懐かしさを感じる。それと動き出さなければいけないという使命感を私の胸に楔として打ち込んでくる、そんな印象さえも与えてくる。
「――暁美さん」
 何度も助けてもらったような気がする。それと熱い抱擁。すべてを包み込んでくれる、そんな印象もある。
「――ほむら」
 何度も手を取り合った声。そして信頼。お互いを思いやるそんな印象。
「――転校生」
 何だろうか……、苛立ちを感じるような? 顔も姿も何もわからないのにその声だけで怒りたくなる。どうしてだろうか? それに怒るなんて感情は久々に感じた気がする。
 それらは――映像のない夢を見ている感じだった。
 これが夢なのかなって思ったのは、その聞こえる声が一体誰のものなのか、わからなかったから。きっと昔にあったことのある人の声なのだろうと思う。子供の時にあった人かもしれない。
 もしかしたら、病院で会ったことのある人なのかもしれない。
 でも、誰なのかわからない。それだけははっきりとわかる。声だけで判別できないだけなのかもしれない。
 そんな風に考えていると――ふいに寂しさも感じた。誰かに見られているわけじゃないのに、悲しい目を誰かから向けられている錯覚さえした。
 ――気のせい。
 夢なのだから。見えるものがないなら、私を見る人もいないし、見えないはず。思考を切り替えて、夢から起きようと思った。
 夢は夢だからって。
 それにまた、いっぱい検査を受けないといけない。それが終わればやっと学校に戻れる。何年ぶりになるかわからない学校に。でも、私みたいな娘が学校に行っても友だちなんてできるのだろうか。不安だけど、まずは検査。それだけを考えよう。
「ぅ……」
 うっすらと目が覚め、夢から起きたのだと認識した私はなぜだか違和感があるなぁって、思った。それは簡単な理由。風の通る音が耳を支配し、強烈な閃光が目蓋を照らす気がしたから。
 ……それはありえないこと。病院の中、それも病室に私は寝ているのだから、風の音なんて聞こえるはずがない。隙間風が入るような穴はそもそも空いていないはず。それに私が聞こえるのは継続的な嫌な機械音。それだけが私の日常のはずだった……。
 だから、きっと朝日の光が病室内に入り込んで、たまたま開いている窓から隙間風が、私へと当たっているのだと認識することにした。たまたまそういうのが重なったのだと――。だけど、
「んっ……!」
 何なのか理由はわからないけど、違和感とは別に、すごく頭に痛みを感じた。どこかを切った痛みに近い。偏頭痛にも思える痛みが頭から全身へと走り続けている。いつの間に怪我をしたのだろうか。寝ている時にでも何かにぶつけてしまったのだろうか? そう考えながら、うっすらと目を開けてみると、
「うーん……?」
 眠気眼で見え始めた天井は見たことのない天井だった。それはとてもきれいな空色で。雲と黒い煙と赤い炎。天井と認識した場所から、それは見えた。――動く天井。そんなものは聞いたこともないし、ありえない。とにかく、私の知っている場所ではなかった。
「えっ……」
 頭を左右に振ってもやっぱり知らない場所が目に入ってくる。
 まだ夢を見ているんだ。だから、意識をきちんと覚醒させれば起きられる。そう信じて再び目を閉じて、また再度開いてみてもこの光景は変わらなかった。余計にこの状況が刺激となって、私の身体を包み込むだけだった。
「――あ」
 私は……なぜか外にいた。病院の敷地内じゃない。それだけはすぐにわかる。わかったけど、意味がわからない。そのせいなのか、頭痛はなぜか薄れていた。不幸中の幸いというものなのかな? でも、これはきっと……、痛みよりもこの現状が私を支配しているからかもしれない。
「……?」
 そのことを確認するように頭を触ってみても、どこも切れている様子はせず、痛みも感じない。でも思い出すのは包帯が巻かれていたようなことや、何かピンク色のリボンをしていたようなこと。今は、特別に何も頭には装着されていないのに……何か大切なものだった気さえした。
 はっきりとした視界によって、置かれた状況がしっかりと目に入り、
「うっ、嘘……?」
 口に言葉を出しても、目の前の状況には変化なんてないし、答えてくれる親切な人もいなかった。確かに私は病院にいたはず。病院には私の病室があって、私はそこで寝泊まりする生活を続けていたし、身体検査を次の日に受けなければいけないという記憶がある。そのことは確かなはずだけど。
「……」
 でもどうして、私は外にいるのだろうか? それも荒野というか硫黄の匂いがする場所に――。不思議な事はまだあった。私の服は着たことがないはずの学校の制服。正確には着るのは初めてではないけど……。でも確か寝る前はパジャマで寝ていたはず。もうすぐ学校にも行ける。少し不安だけど楽しみだとは思ったけど……。
 さすがに制服を着たまま寝ることなんてしない。だって服にしわがついてしまうから。よく見てみればご丁寧にリボンまでつけている。それも結び方を見れば、私がよくする結び方。だから、私は自分の意志でこの服を着たのだということになる。色々わからないことだらけだった。だから、
「ん……?」
 寝たきりでは情報がわからない。なので、身体を起こすと周りを確認できるように首を動かす。病院の近くなら歩いて帰ればいい、そう思ったから。無断外出なんてしたことないから、お母さんや先生に迷惑をかけているかもしれない。少し怖いなと考えていたら、
「えっ……? なに……こ、ここどこっ?」
 そんな私をあざ笑うかのようにして、目に入ってきたのは見たことがない建物ばかり。どれもかしこも一部壊れていたり、火が点いていたりしていた。建物にかけられている看板なんかは見たこともない文字。英語? 筆記体というのだろうか、繋がった文字が羅列している。

 ――どれも全てわからないものしか目につかなかった。

 火に関していえば、異常に多い。この場所をまるで彩るみたいに炎が赤く照らしている。地面、建物、電柱……。この燃える匂いがもしかすると、この鼻を刺激してくる硫黄臭なのかもしれない。何かのお祭りごとなのだろうか……。その割には派手に燃えている。
 それに壊れ過ぎな気がする。そんなお祭りなんて知らないけど、
「……」
 でもなぜだか見たことがある気が? だからなのか落ち着いていられた。

 ――おかしなこと。

「きゃ!?」
 耳に残る強烈な何かの破裂音と共に、私を衝撃波のような振動が襲ってきた。
「いっ……」
 今までに体験したことのない痛みで、身体が少しずつ震え始めてくる――恐怖が遅れて私を支配し始めようとしていた。
「うぅぅ……」
 それでやっと、私は睡眠状態から完全に目が醒めた気がした。
「えっ……?」
 震えながら爆発音がした場所を振り返ると、馬車みたいな四輪車が火を吹いていた。馬車って、病室で見た洋画でしか見たことがない。馬はどこにいるのだろう……?
 それとも別の何か……? それに私の知る車は――、
「うっ……! なにこれ……?」
 車の形を思い出そうとして、ひどい頭痛を感じた。先ほどよりも強く、痺れる感じだった。
「いぅ……」
 頭が割れる、そう感じて車の形を思い出すのは……やめることにした。車なんていいからここがどこなのか調べないと……。深呼吸して、少し震えが落ち着くのを待つと、
「これは英語……?」
 頭痛が治まり始めたので、近くに落ちていた破れたチラシのような紙切れを拾い上げてみた。でも、そこに何が書いているのかさっぱりわからない。破れて内容が破損されているということ関係なしに、文字を理解することができない。眼鏡を外して、付け直してもやっぱり読めない。
「うーん……?」
 裸眼だとこの英語はアリさんみたい。筆記体に見えてくるぐらい繋がっているように見えた。
そもそもこれで見えるなら……というより、どうして私は眼鏡をつけて寝ていたのだろうか。しかもこんな怖いところで。座っていてもわからない。
『警察署か交番にいけば、どこだかわかるだろう』そんな軽い気持ちで私は立った。立ち上がろうとして、
「えっ……」
 何で今まで見えなかったのだろうか、起きたばっかりだったから……? 無意識に見ないようにしていたとか……? でも、今それははっきりと見える。
 ゆっくりと赤い刺激色が黒ずんだ赤へ色帯びていく姿が、視界にはっきりと目を閉じて開き直しても、確かにそこに存在していた。

 ――なんで気付かなかったのか。
 できたら、気付きたくなかった。

 ――なんで見えなかったのか。
 できたら、見たくもなかった。
 
 ……立ち上がった私の周りには、血だらけの人。他にも人なのかわからない生き物の死体と思われるものがたくさん転がっていた。瓦礫に潰されて死んでいる人……、その他にも……。
「い、生きているよね……?」
 その一つに近づき屈んだ。だけど、……手に触れようとしてやめた。
「っ……!」

 ――異臭。

 それは嗅いだこともない強い異臭で、頭の奥を刺激する匂いが回ってきたから。
「い、いやだぁ……、なにここ……!?」
 誰か、誰かいないの? 周りを見渡してもやっぱり、誰もいない……。生きている人間を発見することができない。どの人も赤い血を流し、こちらに見向きもしない。
「っうう……」
 気持ちが悪い――ここから一目散に離れたい。それが私の身体を動かしていた。
「あ、あれは……?」
 見たことがない建物の入り口が目に入る。そこは他の建物に比べて壊れているところが少なく、何より炎が出ていなかった。
「あ、あそこに……」
 私は元が何だったかわからないものを踏まないようにして、できるだけ急いで建物へ向かうことにした。……人だったものを――わからないものと位置づけるように。

「あ、あの誰か……! い、いませんか!?」
 あまり声を出すのは得意なことじゃなかったけど、そうも言っていられる状況じゃない。誰でもいいから人に会いたい。安心したい。その気持ちから、できる限りの大きな声を出した。だけど、私の声に反応する声はなくて。ただなんともいえない虚しい気分を味わうだけだった。
 本当に、だ、誰もいないのだろうか?
「うっ……き、喫茶店みたい……?」
 店内をよく見てみれば、よくテレビドラマで見たことのある喫茶店に似ている気がした。カウンター席と、いくつかのテーブル席。それに目を配っていると、
「んっ……?」
 何かとても甘い匂いがした。紅茶でいうダージリンの匂いに似ているような気もするけど、
「何の――」
 紅茶なのだろうか。その匂いの元も見つかるかもしれないと奥に進もうとすると、いくつかのテーブルは、倒れて壊れていたが目に入った。それに割れたカップもいくつか落ちている。匂いはひょっとすると、このこぼれた紅茶なのかな。
 ……ここも外と同じように何かあったのかもしれない。
 ゆっくり足を奥へと進ませていくと壁に大きな穴が空いていた。それは勝手口や非常口と違って、明らかに何かによって壊されたのか、吹き飛ばされたかわからないけど、丸く抉られていた。私よりもずっと大きくて、ちょうど私が三人くらい入れるくらいの細長い横穴。
「何だろう……?」
 よく見てみれば、その抉り取られた壁は、まるで鋭利な刃物によって開けたれたように切断面がギザギザしていた。触れると手が切れてしまうかもしれない。危ないから近づかないでおこうと考えて、他に何かとカウンター席に目を向けると、
「新聞……?」
 それが目に入った。カウンター席のテーブルの上に新聞が置いてあった。何かわかるかもしれない。そう思い手に取り、
「……?」
 なんだろうこれ……? それが第一印象。
 さっきまでいた外に日本語で書かれたものがなかったから、やっぱりこの紙も日本語じゃなかった。だけどこれは英語。知っている言葉だった。
 日本語がないってことは、ここはもしかすると、日本じゃない外国なのだろうか? だとすると飛行機に乗った記憶もないし、船に乗った記憶もないのに、一体どうやってきたのだろうか。それにこの言葉はこの場所……、この国の標準語なのだろうか? 仮に二言語が主体で、この内の一言語が外に書かれていた言葉で。新聞などの一般的に広まるものは英語。そういう扱いで分けているのだろうか? 
 でも、それだったら街の言葉も英語にする気がする。私の勝手な解釈だけど。
「うーん……」
 少なくとも私が今いるここ、――この国はそういう場所なのだろうか……? だけどやっぱりわからない。なぜ私はこんなところにいるの? 誘拐? 誘拐なら、身動き取れないように拘束するだろうし、外に逃げられるような場所に隠すことはないはず。考えても仕方ないと思い、
「うーん……」
 新聞の紙切れをもう一度よく見てみると、『When I carry out large witch hunting』。そこには大きく見出しにそう書いてあった。かろうじて、私が理解できた英語は、ウィッチ。つまり、魔女という言葉と、ハンティング――狩猟という言葉だけ。
 
 ――魔女狩り。

 それが私の脳内を駆け巡った。確かヨーロッパでかつてあった惨事の話。それが書かれているということは少なくとも、ここはヨーロッパのどこか?
あと馬車が燃えていたのだから……、
「つまりは……」
 ここは少なくとも、過去のヨーロッパなのかな?
「……ありえない」
 思わず口に出してしまうくらいありえない。タイムトラベルなんて、本だけの物語。現実ではありえない。少なくとも、タイムマシンができたとかテレビで見たことなんてない。仮にあったとしても、私が乗った事実はないし、乗ることも絶対ないと思う。
 でも、どうしてなのだろうか。こんなおかしな状況になっているはずなのに、心は全然驚きを感じなかった。どちらかといえば、厄介事にまた巻き込まれた。また面倒くさいことになった。そういう諦めに近い。だからこそ、恐怖心はあるものの、どこか落ち着いていられた。
 そして魔女。この言葉は、聞いたことがないはずなのに何度も、何度も聞いた印象がある。
 それに――、
「……っ!?」
 一瞬何か怪物みたいのが脳内をよぎると、頭痛が襲いかかってきた。あの夢から覚めた時と同じ痛みが……!
「はぁ……くはぁ……」
 同じ対処法でなんとか痛みをひかせることができた。カウンター席の椅子に座り、呼吸を落ち着かせる。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。ここには先生もいないので倒れるわけにもおそらくいかない。
 少なくとも、誰かに会うまでは――。
 ここが日本じゃない以上、会話ができるか不安しか無いけど、少なくとも“人間であれば”なんとかなるかもしれない。人間であれば? 何か違和感を得るけど、わからない。
 考えるのはよそう。呼吸が落ち着くのを待ち、新聞の次のページを開いていく。すると、
「この娘は?」
 大きな写真に写っている少女の姿に自然と目がいった。この少女は不思議な格好だった。子供が着る服装でもなく、学生たちが着る制服姿でもなく、社会人が着こなすスーツ姿でもない。どちらかといえば、アニメ作品に出てくる魔法少女という少女たちが着ている服に近かった。
 端的にいえば――コスプレ。そういえば、巷ではコスプレというのが流行っているみたいだけど、ヨーロッパのしかも昔にそんな風潮が果たしてあるのか……? 一見するとドレスとかはそういう風に見えなくもないけど――わからない。でもありえない気がしたけど、何だかこの少女の姿はお店にある人形みたいにも見えてきて、それも昔見たことがあるそんな気がして、
「だ、だめっ!?」
 思い出そうとした思考を全てやめた。また頭痛がしてもたぶんよくないし、とにかく今は考えないほうが得策だと思う。それよりも現状を理解することが大事と胸に刻み、
「ふぅ……」
 再び写真へと目を戻すと、その少女は短髪でマントのようなものを羽織っていた。その後ろには大きな月が背景として写っていた。位置から考えるとビルの下から撮った感じ。
 魔女狩りというなら、この少女が魔女なのかもしれない。なら、犯罪者だから注意しろという新聞なのかな?
「――っ!?」
 突然、何か冷たい痺れが全身を巡った。先ほどまでの頭痛や恐怖によって起きた震えとは違う形の痺れ、それと共に何かの視線を感じる。こちらを凝視するような何かの威圧感を――。
「えっ!?」
 その視線は、足から腰、背中。そして頭へと巡って来た。そして木の裂ける音ともに肩越しに振り返って見れば、
「ぎぃぃぃ!」
bwc_1.png
 斧を振りかざす何かの影が見え、
「ぃ……!?」
 条件反射なのか、私は地面を気づいた時には転がっていた。そしてすぐに起き上がるとその影を確認した。銀色の甲冑兵士、鉄の甲冑をまとった兵士が私の座っていた椅子をカウンターごと切り崩していた。
「な、な……!?」
 に、逃げなきゃ! その感情が私の身体を一瞬にして支配した。確かに人らしき者はいたけど、どう考えても話を聞いてくれそうじゃない!
「うおぉぉぉぉぉ!」
 甲冑兵士の追撃から、私の身体が自動的に動くと、
「っ!?」
 なぜ避けれたのか? そんな疑問を考える前に私の足は出口へと駆け抜け始めていた。あんなに重そうな甲冑を着ていれば、素早い動きはできないはず。それにこんなに狭い建物の中にいれば、たちまち追い詰められてしまう――そんな気がした。
「……っ」
 建物から出る前に一瞬だけ見えた甲冑兵士は、こちらを見て静止していた。それはまるで何かを考えている……ようにも見えた。


 建物から飛び出した私は周囲をすばやく確認した。逃げる道を探さなきゃいけない。だけど……どこが安全で、どこが安全じゃないかわからない! 
 でも、ここにいればおそらくあの甲冑兵士が襲ってくる。だから、早く……!
 だというのに、左右どちらの道に進むべき……なのか。その一歩を選べなかった。
「ううっ……!」
 道がわからないのは当たり前だった。だって知らない場所だから。地図らしき看板みたいのが、もしかしたらどこかにあるかもしれないけど……それは今私の視界に入ってこない。目に入るのはどこを見ても壊れた所から煙が出ていて、火が燃え盛る建物、そして“わからないもの”だけ。
たったそれだけ。
 それに『もし仮に逃げた場所が行き止まりだったら』。その考えが私の一歩をより重くさせた。
「うげげげげげげげ」
 私をあざ笑うかのように後ろから雄叫びが聞こえてきて、
「ひっ!?」
 その反動で白い煙があまり上がっていない左へ足が動き出し始め、私は走りだしていた。
「かぅっ!?」
 動き出したらもう止まれない。甲冑兵士に追いつかれないように足を必死に動かすしかなかった。たとえ間違っていても、もうどちらが正しいかなんて考える時間も、戻る時間もない!

 ――走る。

 私が走れるのはほんの数秒なのかもしれない。それでも前へ逃げないと、その想いで私は前をしっかり見た。目の前に見えるのは黒い煙が多く上がっている空と、あの甲冑兵士がおそらく破壊していった場所。きっとこっちにはいない。
 そう思うしかなかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
 私は自分の出す声がそのまま耳に入るくらいの吐息をはき続けながら、走っていた。その時間は五分、十分になったのかわからない。でも、かなりの距離を走っている気がする。
「ふぐぅ……!」
 驚きを隠せなかった。自分がどうしてこんなにも疲れないで、走っていられるのか。いつまでも走っていられる気さえする。
「……っ」
 私は次々に切り替わっていく景色を横目に確認していた。もしかすると知っている場所があるかもしれない、そんな考えからだった。それと自分の速力が少し気になったから。
 でも、景色を見たとしても車みたいにメーターなんてものはないから、……結局わからなかった。
「はぁ……はぁ――」
 私は心臓に欠陥がある。血管が生まれつき細くて、急激な運動、極度なプレッシャーで胸が痛くなる病気のはずだった。でも、ここにいる今の私はそんな気配なんてどこにもない。恐怖でさえも昏倒する可能性があるのに、全速力。私は自分の限界速度と思われる速度を思いっきり出して走っていた。
 もしかすればもっと早く走れるかもしれない。
 そうかもしれないけれど、そうしてしまうと胸が痛くなるかもしれないという恐怖からこの速度を保っていた。
「ふぃ……ふぅ……はふぅ……」
 可能性として、薬や手術で少し大丈夫になったのかもしれない。そうだとしても、そんな効果の出るものを受けた記憶も飲んだ記憶も“今の私”にはなかった。
 少なくとも、昨日までの私は俊敏な動きもできないし、走ることすら満足できない身体のはずだった。それにそんなすぐに効果が出るものなんてありえない。

 ――奇跡、もしくは魔法が起きない限り、私はこんな身体になっていない。

「ふへぇ……はぅ……」
 だけど、仮に奇跡が起きたとしてもこんなにも走っていられるものだろうか? 確かにテレビでマラソンを一時間や、二時間といった長距離を走る人たちがいる。対して私は、そんな訓練を受けたこともないただの病人のはず。加え、学校生活でもまともじゃない人生だった。
 よそ見と考え事にうつつを抜かしていたせいなのか、
「う、うわっ……!?」
 足元にあった“何かに”足を取られて、目の前へと飛びだすこととなった。危なく頭から転び落ちそうだったけど、幸い受け身のようなものを取れたおかげなのか、どこも怪我をしている感じはしなかった。
 ただお尻を少しすったせいで、若干痛みを少し感じるけどたぶん大丈夫。足元を見なきゃ転ぶのも仕方ないと、一体何に足を取られたのかと肩越しに振り返れば――、
「てぃ、手っ!? い、いやああああああああああああああああああああ」
 それが足元に転がっていた。人体模型とかじゃなく、綺麗に切り取られた『人間の手』。震える手が無意識にメガネに触れると、水の感覚が指先からした。でもそれは水みたいに透き通る感触がない。そこにあるのは、
「えっ……?」
 ベッタリと手にまとわりつくもので、その人間の手の方から流れていた。
「――うっ……っ!」
 胃の中のものが激流してくるのを感じて、息を呑んだ。
「あっ、あぁ……」
 手を口へと移動させ始めた時、そのまとわりつく何かがついに目に入ってしまった。
「っぅ――」
 見ないように、考えないようにしていたものが……。しっかりと黒くて赤い血が、ベッタリとまとわりついて、手を……赤く染め上げていた。
「はぁはぁ……はぁ……うぅ」
 吐き気を何とか耐え、頭から『人間の手』をまた“わからないもの”として認識するようにした。でも、私はなぜだかそのわからないものであるはずの手から、目を背けることができなかった。まだ若くてこれから成長する子供の手で、私とそんなに歳も変わらない気がした。
 その“青髪の子供”は瓦礫に潰されるように――、
「んっ……! はぁはぁ……」
 少し落ち着いて見てみれば、きちんと手は身体と繋がっていた。でも、それが本当に繋がっているのか判断できるのかわからない。その身体は――瓦礫の下にあったのだから。
 どうして……こんなことになっているのだろう? それになぜこんなにも落ち着いていられるのだろう? って疑問が頭の中を過ぎった時、
「えっ……!?」
 音が聞こえた。その音は炎が燃え盛る炎でもなく、木の軋む音でもなく、水の流れでもなく、風の音でもない――雄叫びだった。何かの生き物の叫び声が遠くから、両手で耳を塞いでも耳に入ってくる。その声は先ほど私を襲ってきた甲冑兵士の声に、似ている気がした。
 その考えは考えるまでもなく当たっていた。
「嘘っ……」
 その声は至る場所から聞こえてきて、こちらへとだんだん近づいてこようとしているように聞こえてきた。三、四つ少なくとも五つの声がこの場から聞こえる。男の人が発する低くてドス黒い声が。
 頭の中ではうすうす理解していた。走っても、走っても街の出入口にさえたどり着かないぐらいこの街は広い。仮にそうであるなら、この街を破壊したのが一体だけとは限らない。大群、それも一人や二人じゃなくて何十人。
 戦争と呼ばれるものは、一般的に確か……何百人単位で行われているはずだから。目の前にある炎や壊れた建物が、戦争の跡地なのかはどうかはわからない。
 だけど、だからこそ彼らに遭遇したら生き残れないことが直感的にわかる。身体がそういう風に言っている気がする。それに攻撃を受けた事実もあるから、ほとんど間違いないはず。
 何より、こうしてまた大群をなして、こちらへと向かってきているからきっとそうなのだろう。生きている人間を皆殺しにする……、そんな命令を受けているのかもしれない。
 ……なんて場所で目が覚めてしまったのだろう。
「う、うぅ……」
 もしかするとあの時、びっくりした拍子に叫び声を上げてしまったことがいけなかったのかもしれない。あのまま走り続けていれば遭遇しなかったかもしれない。でもその考えは違ったのだとすぐにわかった。声は私の後ろだけでなく、走り続けていたら到達していた前面方向の奥からも聞こえてきたのだから。
 もしかして選択を間違えてしまったのか? あの時右に行けばこんなはずじゃなかったのかなと、一瞬頭に過ぎったけど頭を振って改めた。それよりもここから早く逃げ出そうと――、
「えっ……、足がっ!」
 立ち上がろうとした私は何かに足が引っ掛かり、立ち上がれなかった。
「んっ! どうして!」
 力を入れてもびくともしない。よく見れば、地面に穴が開いていた。立ち上がろうとした衝撃で崩れ落ちたのか、その穴に綺麗に足が埋まっているようだった。……気付かなかった。それに加えて何かの振動で落ちたのかビルの瓦礫が私の足を封じるように、その穴を綺麗に塞いでいた。
 音もなく瓦礫って、崩れ落ちるものなのかな?
「あっ……」 
 その疑問はすぐに解決できた。それは甲冑兵士の声。あの声に集中するあまり聞こえなかったのだと。それ以外に考えられなかった。
「……」
 子供の手は見えなくなっていた。おそらく子供を潰した瓦礫が、私へと崩れてきたのかな。すぐに立ち上がって移動していれば、こんなことにはなってなかったかもしれない。
 ……あ、あれはっ! 
 そうこう私がもたついている間にそれが目に入った。銀色の影を纏う甲冑に身を包んだ者がたくさん列を作りながら、こちらへとゆっくりと近づいてくるのを。それも私を包囲するように、円上に広がりながら歩いている様子だった。
「……っ」
 足をゆっくりと、音が鳴らないように動かしつつ、その動きを観察してみると、私に気付いていない様子だった。探しているのかな? たぶん、私が出しちゃった叫び声でこの位置に誰かがいるのだと踏んできた……のだと思う。
「……」
 私は完全に伏せて、彼らの視界から外れるようにした。伏せれば甲冑兵士たちがわからないものと同じと判断して、通り過ぎて行ってくれるかもしれないから。近づいてくるのを音で感じつつ、心音を落ち着かせようとし、目を閉じ楽しかったことを思い出そうとしたけど、
「……っ」
 数秒で後悔した。楽しかった思い出が思い当たらない……。
「……」
 ないならと考えることをやめて、音をたてないように足を動かす。幸いなことなのか、どうにかすれば抜けそうな気配だった。――縦はダメでも横からなら抜ける。そういう便利グッズが何かテレビで見たことあるが、そんな感じだった。押してダメなら引いてみろというのも聞いたこともある。
 だから、足をゆっくりと動かす。
「……っ」
 足が少しずつながらも、穴の中から抜けていく感触を受け、
「……っぁ」
 なおかつ心臓の鼓動がどんどん早くなって、外に漏れ出してしまうような錯覚に襲われても、私はひたすらに急いだ。甲冑兵士が通り過ぎた瞬間に走りぬければ、追っかけっこになってしまうけど最悪の事態は避けられると思うから。
「……!」
 少しずつ……、少しずつ……!
「っ……!」
 甲冑兵士が周囲を見渡し始めるのが見え、一旦動きを止める。甲冑兵士がその動きをやめたのを確認して、また少しずつ動かす。
 あとちょっと――、足をそのタイミングで動かし、
「(ぬ、抜けたっ!? これなら――)」
 顔を上げ身体を起こして走り抜こうとすれば、
「い、いや――」
 私の目の前に一体の甲冑兵士が影を作っていた。
「あ、あ……あ……」
「うぁいうこあ!」
 甲冑兵士が何かを喋り、手に持つ斧を私へと振り上げ始めていた。その声に反応したのか周りの甲冑兵士も近づいてくる音がする。い、いつ気付いたの? 音はたてていないのに!
「――ぁぁ……」
 
 ――奇跡は二度起こらない。わかっていた。

 そんな半分諦めかけていた私に向かって、斧が振りかざされたその瞬間、
「え――」
 赤い稲妻が甲冑兵士を真っ二つに切り裂いていた。それは凄まじい音と閃光で一瞬にして、私の視界を奪った。その光から目を守るよう目をつむり、
「何が……?」
 再び目を開けた私の前にいたのは、黒く炭のように変わっていた甲冑兵士の姿だった。稲妻によって真っ二つに別れた身体が崩れ落ちて、ゆっくりと風で飛ばされていった。

「――大丈夫?」

 と声をかけられ振り返れば、フランス人形がそこに座っていた。
「えっ――」
 ち、違う生きた人……!? よく見てみれば、車椅子に座る金髪碧眼の少女が私に笑いかけていた。
「だ、だ……れ……?」
 明らかに日本人とは違う、黄色く綺麗な長い髪を持った人物だった。そして、その周りには青い甲冑兵士が三体立っていた。一人は少女の車椅子のハンドルに手をかけ、他の二人は少女を守るみたいに銀色に光る武器を手にしていた。 ――白銀の剣と、蒼い槍。正式な名前はわからない。
「なぜ、こんなところに? というのは聞くだけ無意味な気がするけど、ボクの考えだけなら、おそらくどこからか逃げてきた感じなのかな?」
 少女は私の理解できる言葉ですらすらと話しかけてきた。英語とか聞いたことのない言葉じゃなくて、日本の言葉。日本語を話していた。
「んっ? どうかしたのかい?」
 黙り込んでいた私を不審に思ったのか、金髪の少女が小首を傾げた。
「だ、だって……、なんで」
 不敵に笑う少女の顔に恐怖を感じた。こんな状況でどうして笑えるんだろうか。少なくとも幸せを感じられる場所じゃないのに。少なくとも私には悲しみしか感じないし、恐怖感で一杯だった。笑う少女は右手を前に突き出すと、それを合図に少女の後ろにいた青い甲冑兵士が剣と槍に赤い稲妻を纏いながら、私に向かって駆け出し、抜けていった。
「えっ……?」
 前を振り返れば、次々に青い甲冑兵士が銀の甲冑兵士を突き刺していくのが見える。圧倒的な力の差。それを感じた。銀の甲冑兵士は抵抗も虚しく、青い甲冑兵士に蹴散らされていく。
「何これ……?」
 目を背けようとしたが、身体は動かずそれを見つめるままだった。甲冑兵士からは血が飛び出ず、黒い液体が溢れでている。墨汁みたいな漆黒の液体。何なのだろうか?
 黒い血。その考えが頭をよぎるけど、それとはまた別物みたいに見えた。だからじゃないけど、残酷って感情が生まれなかった。
 ――そこに“それがいないもの”とさえ感じる。もしかするとその感情が強いせいなのかもしれない。
 私を襲おうとした銀の甲冑兵士の集団がいなくなると、墨汁から突如として地面に黒いもやが現れ、それが大きな人の形となり、銀の甲冑兵士が生まれていた。人間じゃない……?
「はぁ、やっぱり」
 私の思考を刺激するみたいに少女はため息を一度はくと、
「――撤退」
 とつぶやく。青い甲冑兵士はその声に従うよう頷くと、こちらへと駆け足で戻ってくる。
「ここから離れるしかないかな」
 少女はいつのまにか私のすぐ近く、隣まで来ていた。そして、私へ手を伸ばすと、
「行くよ、立てるかな?」
 と声をかけてきた。恐怖はすべてをダメにする。心臓の病気のこともあってか人とのコンタクトは恐れ以外の何にでもなかった。だから、
「なた? てがらた」
 発した言葉は、言葉ですらなかった。それに腰も引けていて自由に身体を動かせる気がしなかった。あんなにも走ったり、動じることのなかった身体であったのに。助かったという安心感もあるかもしれない。
「ふぅ……」
 深呼吸をすると少しだけ心が落ち着くのを感じた。

 ――そういえば、後ろの方はどうなったのかと振り返ろうとした時、

「振り返らない方がいい」
 そう言って、少女は振り返ろうとした私の視線を奪うようにして車椅子を動かした。車椅子のタイヤの金属音が耳に入る。錆びついた金属の歯車の軋むような音。青い甲冑兵士と少女が私を見つめ、言葉を待っているように感じた。だから、
「あっ、はい」
 自然と言葉が出た。少女は笑い、また私に手を差し伸べてくれる。少し落ち着いたこともあったのか、今度はしっかりと自分でも何を言ったのがわかる。私は少女の手を掴み取ると、導かれるままに車椅子へと動こうとした瞬間、身体が予想以上にまだ回復しきっていなかったためか、思いっきり勢いよくぶつかり大きな衝突音がなった。
「あふぃっ」
 車椅子ごと転倒するかと思ったが、甲冑兵士がきちんと制御しているのかその心配は必要なかった。さらさらとした少女の金髪が私の腕を優しく撫でた気がする。変な声を出してしまい、気まずさを感じつつも私は顔を上げる。そこには先程と変わらない罪悪感がない純粋無垢な笑顔が私を見下ろしていた。笑顔……。頭の中に何かが浮かびそうだったけど――。
「ちゃんと、手すりを掴んだわね?」
 私の意識を奪うように少女の声が聞こえ、
「は、はい」
 条件反射で精一杯な声で答えた。誰かの顔が浮かんだ気がする。でももう思い出してもその顔は浮かばなかった。
「あ、あの――」
「ん、ちょっと待ってね」
「は、はい」
 他に人間の姿はないし、またあの甲冑兵士みたいのに襲われるかもしれない。だから、この少女の言うことをひとまず聞くしかない。お金とか請求されたらどうしよう。この少女は甲冑兵士と一緒にいるのだから、襲ってきた仲間かもしれない。憂鬱な気分になりそうだった私を更なる不安が襲った。
「えっ……」
 ふんわりした風を感じると私の足は土の上になかった。身体が車椅子ごと宙に浮き始めていて、
「いっくよー」
 少女の声が聞こえ、聞き終わる前には私は見慣れない上空へと滑空し始めていた。足が何もない空間にゆらゆらと揺れる。昇っているのだという感覚を、全身に向けて風が襲ってくる。乗ったことがない絶叫マシンというのはこういう感じなのかもしれない、
「ひっ!」
 ただ恐怖しかない!
「ひやああああ!」
 景色が次々と高速に変わっていく。そんな私を見てからか、少女から笑い声が漏れた。無邪気に笑う声が。上昇は止まることなく続いたため、
「ど、どうして飛んでいるの?」
 疑問が恐怖で口に出てしまった。
「地上は危ないから――」
 少女が大地を指す。
 地上は私が見てきたもの以上に、全てを燃やし尽くす炎の色に染まっていた。
 かなりの高さまで飛んでいることもあり、落ちないか怖くなって来た。そんな私を心配してか、
「大丈夫、掴んでいれば落ちたりしないかな」
 と少女は答えてくれる。
「で、でも離せば落ちちゃうんだよね?」
 少女の言葉を疑わなければ、この手が離れてしまえば身体が地面へ落下して、死んじゃうかもしれない。打ちどころが良ければ死なないかもしれない高度では決してないと思う。五階建ての建物を超えてからもまだ昇り続けているのだから。
 ここから落ちたらなんて考えたくもない。手に力が入る。いつまで持つのか死活問題――腕の力なんてないに等しいから。
「……あれ?」
 とはいっても、私の身体は車椅子を掴む自分の手によってしっかり固定されていた。
 
 ――疲れを感じない。

 いつまでもこうしていられる錯覚さえあった。走る時もそうだったけど、そういう身体になってしまったのだろうか……?
 大丈夫なんだ。その考えが全身を走ると恐怖が薄れ始めて、なぜ空を飛んでいるのかその疑問が頭を支配し始めてきた。青い甲冑兵士を見れば、温かみも冷たさも感じない。鎧自体は冷たいかもしれないけど、少なくとも表情が見えない分、とてもじゃないけど生きている人間には見えない。少なくとも空飛ぶ甲冑兵士なんて、聞いたことも見たこともない。
 それは車椅子にも言える。でも正確なことなんてわからない。少女が飛んでいるかもしれないし、青い甲冑兵士が持つ何か不思議な力によって浮いているのかもしれない。
 もしかしたら可能性は皆無だけど、それこそ私が飛んでいるという可能性もあるけど……。
 実際に視界に入る風景がどんどんと小さくなっていく。今はだいたい十三階ぐらいの高さなのかな。考えている間も上昇が続き、
「……ありえない」
 その言葉は自然と漏れることになり、
「どうかしたの? 何がありえないの?」
 と少女が私に興味を持つ結果となった。
「ひ、人は空を飛びません」
「面白いことを言うんだね。今まさに飛んでいるんだよ」
「そ、そうですけど……!」
「あはは――」
 少女の笑い声をかき消す、けたましい爆発音が聞こえ、
「は、花火……?」
 と思わず声を漏らしてしまい、
「あれは……、そんなきれいなもんじゃないよ、あれはどちらかといえば汚い光だよ……」
 少女はその正体を知っているのか、悲しい顔を一瞬見せた。
「あなた見ない顔だよね? ここらへんは戦闘が活発してて危ないんだよ?」
 少女は続けてそういうと何事もなかったみたいに、私にまた笑みをこぼす。
「どうして?」
 あんなに綺麗なのに――。
「あれは、人を殺す光だからだよ。そんなことすらわからないのかな?」
「人を殺す……?」
 私は静かに頷く。人を殺す光……? 戦争の光ってことなのだろうか? 戦争なんて映画とかの映像でしか見たことがない。あとは核爆発の恐ろしさ――。
「あれはね、銃や大砲という武器だよ。それによってああいう光が出るんだ。とはいっても、もうそれを使う人はほとんどいないはずだから、おそらくあれは……ただの鎧の反射光さ。何体もの光が乱反射してここまで見えるんだよ。まぁ、その光は綺麗なのかもしれけどね!」
 その問いに応えるみたいに少女は指さす。そこでは白い光や赤い光といった発光色が不規則に輝いていた。きちんと確認できないけど、確かに光が動いているから。もしかするとあの時私を襲ってきた銀色の甲冑兵士たちの仲間なのかもしれない。
「あなた名前は? ボクはシャル。シャルロッテ・ブルクルン」
「シャル……さん?」
 シャルと名乗った少女。髪の毛の色からわかっていたことだけど、やっぱり日本人じゃないみたい。それに聞いたこともない名前。やっぱりここは……日本じゃないのかな?
「あ、暁美ほむらだと……思う」
 いつもと違って身体の調子が変だけど、少なくとも頭だけは私のはず。暁美ほむらという人格を与えられた何かって可能性ももちろんあるけど、そんなおかしなことありえない。
「そっか――あけみほむらか……。ここから少し離れないとまだ危ないよ」
 シャルさんは首を左右に振ると、何だか悲しそうな顔を向けてきた。何か変なことを言ってしまったのだろうか……? それに、
「まだ……?」
 シャルさんが指差す場所を見ていくと、シャルさんがさっき言っていた光が輝いていた。
「飛んでいたら、だ、大丈夫なの?」
 私の不安を取り除くみたいにシャルさんはゆっくり頷くと、
「行こうよ。少なくともここよりは安心なはずだよ。まぁ、本当に安心かは曖昧だけどね」
 と微笑んだ。空が安全……? 飛行機とか飛んでいないのかな。でも飛んでいたとしてもこの少女なら破壊しそうな気がした。そういった意味での……安全なのかな?
「は、はい」
 でもなぜかこのおかしな状況を作り上げた原因の一つに思えた。それは……私を襲ってきた甲冑兵士を、このシャルさんという少女が使役しているから。色の違いはあるかもしれないけど、何かがあるような気がしてならなかった。
「♪~♫」
 私の考えていることなんて関係ないくらい、シャルさんは相変わらず楽しそうに笑っていた。この少女の笑顔を見ているとどうしてだろうか、左手がなぜか疼く気がする。あの頭痛みたいな痛さと痺れとかじゃなくて――シャルさんから何かを感じ取っているそんな感覚がした。
「……ふぅ」
 そんな曖昧なことよりも現状を把握しなきゃ。
 なぜシャルさんが甲冑兵士を使役しているのか、なぜ空を飛べるのか。
 もしかするとそれらは同じ答えなのかもしれない。そうだとしても、今の私にはその答えは考えつかなかった。自分の体でさえ、わからないのだから。
「さて――、」
 固い何かが砕ける音が聞こえると、
「ぐっ、うあっ。おえ――……あ、あぅ」
 シャルさんの悲鳴に似た渇いた声が続くように聞こえ始め、
「えっ」
 生暖かい、それが、
「何が――」
 私の額に落ちてきた。温かい人の――血液だった。
「いっ――」
 何が一体起きているのか理解できなかった。空の上は安全って言われたばかりで、鮮血なんて起こり得ない……はずなのに、
「な、なんでっ!?」
 私の額から汗とは違う水分の流れができていた。顔から流れやがて車椅子を掴む手にそれは落ち、そして私の身体を伝って空から舞い落ちていった。

 ――熱を持った人の身体を流れる赤い血の一部が解き放たれていた。

「――い、い……や、いやぁ……!」
「ぐぁ、ぐぅえぅぐ……」
 その赤い血の流れ出る元は、うめき声をあげるシャルさんのものだった。耳にその甲高い声が反響して、目に入ってきたのはもがき苦しむシャルさんの姿――。
「いっ!? えぅ!?」
 シャルさんは車椅子ごと貫かれていた。
 ――鋭い槍のような鋭い棒状の刃物によって。
 その槍先から垂れ落ちる血と、シャルさんを構成していた内蔵の肉片がこぼれ落ちていくのが私の視界に入り――驚きと恐怖から私は、
「いっ――、あっ……」
 車椅子の手すりから手が離れた。安全と言われた場所を自分から離してしまった。
「あっ……い……やぁ……!」
bwc_2.png
 私を重力が襲い、瞬く間に背中から真っ直ぐ地上へ落下が始まる。本来起こりうるはずの落下運動、それがゆっくりと確実に死へと近づけさせる。空気を裂く風が私の身体を締め付けてくる。苦しいよりも胸の中が何かに締め付けられるように。
「……っあ!」
 思い出したかのように車椅子に手を伸ばしても掴めるはずもなく、ただ空を裂くだけだった。態勢が崩れる一方で右手も左手も届かない。――もうだめと半分諦めかけていた私を、
「……っ!?」
 眩しい赤い光が視界を奪った。けれど、赤い閃光は一瞬ですぐに収まりつつあって、だから――その光が太陽のものじゃないってわかった。太陽はその光とは違って、空高くずっと奥で輝いていたから。それに赤い光はカメラをフラッシュした時に生じる光方に近かった。
「は、はは……」
 でも不思議に感じても状況に何も変化なんて起こらない。私は変わらず落下し続けている。別にそんなものが見えても何も状況が変わるはずもないのだから。
「そ、そうだよね……」
 その光が収縮するように収まり、視界に入ってきたのは小さくなった車椅子だった。実際には車椅子が小さくなったわけじゃなくて、私がどんどん遠くなっているのだろう。地上へ向けてただ落ちていくだけ。車椅子もさっきまで私の半分くらいの大きさに見えたものが、ミニチュアのおもちゃみたいに小さくなってしまっている。明らかに私が落下していた。
「……ぁう」
 槍のようなものが刺さったシャルさんは大丈夫なのかな。そんな心配ごとが思い浮かんだけど、他人の心配している場合じゃない……。地上へ落ちれば死が待っているのだから。シャルさんが死んでいたのなら、私もその後を追うように死ぬだけ。
 落下の回避は無理そうと目を閉じ半分諦め、再び開けば、
「な、なに……こ、れ……?」
 不思議なものを見つけた。少なくとも飛んでいる時には見なかったもの。雲がそんなにないのにそれは降るものなのかな? 
 でも疑問は無意味でそれは降っていた。
 
 ――淡く黄色い雪。

 その透き通った粒が空から舞い散る桜みたいに降っていた。
 いつから降っていたのだろうか、そもそもこれって雪なのかな……。でも、
「綺麗……」
 思わず口に出すくらい、それは綺麗で、太陽の光に照らされ輝く雪にも見えた。そのせいで自分が落ちていることを忘れてしまうくらいだった。
「……っ!」
 私は無性にその雪に触れたくなり、手を伸ばしてみたけどうまくいかなかった。落下するスピードをいなすことができなくて、身体をうまく動かすことができなかったから。ただ余計に態勢がくずれただけ……。
 だけど雪はその支配を受けていないのか、振り子のように揺らめきながら、ふんわりと落下し続けている。

 ――同じように空を滑空できれば、もしかすれば自由に動けるかもしれない。

「えぅ……!」
 せめて死んでしまうなら、触れたいそう願って手を動かし、指を動かそうとした。でも、指先は思った以上に動かなかった。ふんわりとはいかず、ただ勢いよく落ちるだけ――。
『――だから、手を離すなって……。仕方ないなぁ』
 誰かの声がどこからか聞こえ再び赤い閃光が見えた時、私は黄色い雪を掴み取れていた。
「これって……?」
 でも、それは雪じゃなかった。――黄色い鳥の羽根だった。それも動物の温度に似たものを持ったもので、さっきまで生きていた鳥の羽根なのかなと思いはじめた時、
「……えっ、浮いている……?」
 気付けば、赤い閃光がいつのまにか私を包み込んでいた。人の温もりがある光の中で、人の形をした閃光が私を抱きかかえていた。
「あ、あれ!?」
 それによってなのか落下は止まって、先ほどと同じように空に浮かんでいた。だからこそ、私は雪を掴み取れていたみたいだった。
「あ、あなたは……誰?」
 赤い光が収まっていくとそこから、見たことのない赤髪の少女が現れ始めて、
「シャルだよ。もっとも別人に見えるのもしょうがないかな」
 シャルさんらしき人物はそう言ってそのまま車椅子まで一緒に飛翔すると、その上に座らしてくれた。
「これなら、もう落ちないでしょう。あ、ごめん。ちょっと濡れているかもしれないから――」
 確かにお尻から冷たい感触がするけど、それが何なのか見たいとは思わなかった。
「危ないから、ちょっと見てくるね」
 そうシャルさんらしき人物が言うと、赤い閃光を纏い、一瞬にして雷みたいにジグザグと大地へと滑降していった。それを見て安心した影響なのか、私のまぶたはなぜだか重くなって、
「……杏子」
 薄れゆく意識の中で何かを思い出しかけて――途切れていった。
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